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2011.08.21 人それぞれの
急に寒くなってきました。
昨日は、友人の結婚フェス「ヤマソニ」で歌ってきました。
内灘のビーチに小さなステージを組んで、いろんなバンドやDJの演奏がありました。
いつものライブとは全く違った雰囲気、大勢のお客さん、パーティー。
こんなところだと、オレも男ですから、女の子の黄色い声が飛び交うはずです。

オレの出番が終わり、飲んでいて、声をかけてくるのは男ばかりでした。
いやではないけど、ううん…、おかしいなあ、もっとこう…。

某役所で働いているN君
「僕は役場で働いていて、いろんな制約もあり、河合さんみたいに自由じゃない。僕の夢を河合さんに託します。」
オレ
「いやいや、君は君の夢を自分で掴むべきだよお。」
N君
「僕は役場の中で精一杯やります。河合さんは、石川、福井だけじゃなく、全国に歌を轟かせ、世界を凌駕する人になってください。もしチンタラやってたら、なにやってんだー!!と喝を入れます。あなたを見てますから。」
オレ
「そこまで言うなら…。わかった、約束する。オレは、やるぞ。」(がっちり固い握手)

最近、全人類共通のキーワード「愛」について考えるようになりました。
テレビに出てくる「愛」という言葉はどこか安っぽくて、僕的にあまりしっくりきません。
アラスカの山の中でキャンプ生活をしているとき、限られた食材と生きるために最低限の物で生活していたあのとき。
空を見上げ、木々を見渡し、川で洗濯物をして、地球よありがとう、生きていることよありがとう、と心から思えました。
あの瞬間、自分の中の愛を地球に少しでも与えることができたのではないかなあ、と思うのです。
だってあのときは、見えるもの、聴こえるものすべてが、純粋な綺麗な色に見えた。
木々の葉の緑色は鮮明な緑色をしていて、空は塵一つない澄んだ青色をしていて、同じものを見ているはずなのにすべてが活き活きとして見えた。
自分の中の愛が大きく膨れ上がり何かに与えることができたとき、それはその何かさえ変えてしまうのかもしれません。

これは一つの愛ではないかと。

去年の9月下旬、大雪山に登ったとき。
山頂付近は積雪があり、雪と氷の世界だった。
人っ子一人いなくて、オレも不安になりながら一人で登っていた。
すると、2人組のパーティーと出くわした。
そしてお互い励ましながら一緒に頂上まで行った。
その2人組の一人は山登り初心者の方だったらしく、不安で恐くてしょうがなかったと言っていた。
でも頂上に到着したとき、「ありがとうございました…、ありがとうございました…」と鼻水を垂らしながら独り言のように何度も言っていた。
パートナーに対してかもしれない、僕に対してかもしれない、いや、無事登ることができた自分に対してかもしれない、山に対してかもしれない…。

これもきっと一つの愛でしょう。

人それぞれの愛、まだまだ深くておもしろいものなのでしょう、きっと。
かけがえのない今日であるように、日々生きていることに感謝できるように。


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